ブックタイトル植木先生特別号

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概要

植木先生特別号

Page 12特別号令和4年3月発行追悼植木彬夫先生第22回EBMの会にて祈りを捧ぐ多摩北部医療センター内分泌・代謝内科藤田寛子あまりに急なお別れでした。悲しむ時間もなく、第22回のEBMの会を迎えました。予定では、植木先生が私の症例提示の座長をしてくださることになっていました。植木先生には数えきれないほどのご指導をいただきましたが、EBMの会(正式名:西東京EBMをめざす糖尿病薬物治療研究会)は、その一つの機会を与えてくれた貴重な活動でした。第13回EBMの会で講演を担当させていただいた際、植木先生からいただいたお言葉が、今も深く心に残っています。「食事も運動も遵守したいのに、事情でできない。でも言えない」という状態におかれた患者のCGM(持続間質腋糖濃度モニタリング)の中ににじむ苦悩・・この血糖の動きがどうしてもわからなくて困っているのですとお話したとき、「実は」と初めて患者が打ち明けてくださった・・・など、日常診療そのものを織り込んだ内容で、症例提示中心にお話しさせていただきました。“先生のプレゼンテーション、いいんだよな。そこにいる患者像がそのまま伝わってくる。僕らどうしても臨床研究はどうだったとか、そっちから入るけど、先生は一人の患者から入って、皆に通じるとても大事なことを言ってくれるよね。”私は、臨床研究の勉強など全く足りておらず、一緒に悩みながら生きている医師と患者の日常を紹介しつつ当時普及し始めたばかりのCGMの有用性を示すのが精いっぱいだったのですが、植木先生のこの一言は、その後の私の活動の基調になりました。その後、植木先生のご講演を何度も拝聴し、先生がいかに患者一人ひとりを大切にして沢山の時間を割いて向き合っておられるかということを目の当たりにしました。あの言葉は、まさに先生が実践しておられた医療の一つであり、先生はそれを教えてくださったのでしょう。改めて植木先生だからこその有り難い一言だったと、かみしめております。その後もご一緒させていただくたびに私の稚拙なプレゼンテーションに、どこか良い点を見つけ温かく育てて下さいました。先生のお名前をいただいた最後のEBMの会、来ておられたら、どんなご教示をなさったのでしょうか。先生への追悼を込めてプレゼンテーションさせていただきました。そして、先生と一緒にあゆまれたご出席の皆様から核心に迫る貴重なご意見をしっかりいただきました。今、大野先生・松下先生が、先生がお築きになった教室を引っ張っておられます。臨床糖尿病支援ネットワークも4月から代替わりします。先生方のお築きになったものを、しっかりと次世代に渡したい。心よりご冥福をお祈り申し上げます。本当にありがとうございました。植木彬夫先生を偲んで東京医科大学八王子医療センター糖尿病・内分泌・代謝内科小林高明私が植木彬夫先生に初めてお会いしたのは、1997年、医師になって2年目に八王子医療センターに内分泌代謝内科の研修医として赴任した時です。当時の東京医大は現在の研修制度とは異なり、1年間の初期研修終了後、2年目に当時の番号制の内科に入局するのが通例で、血液内科か膠原病内科で進路を考えていた私は第三内科に入局しました。八王子医療センター赴任時は、その後自分が糖尿病・内分泌・代謝内科にお世話になるとは全く思わずに当地に参りました。医療センターでは植木先生と二人でグループを組み、植木先生が外来、私が病棟担当で、植木先生は外来で大勢の患者さんの診察をしておられ、外来後の病棟回診は夜7時をいつもこえました。当時は今より糖尿病性足壊疽の患者さんが非常に多く、通常なら形成外科や皮膚科、整形外科等に入院して臨床糖尿病支援ネットワーク